2005年12月25日

【第8話】最高のハネムーン

今回はハネムーンのお話です。

添乗員ともくんがふたりだけのために企画した最高に素敵なハネムーンでした♪

結婚式は実は5万円で済ませたのですがハネムーンにはおもいっきりお金をかけました。

個人旅行で行きたい所だけに行って泊まりたいホテルだけに泊まるとツアー旅行の何倍も
お金が掛かります。

スペイン・フランスを夜行列車を乗り継いだりしながらめぐる豪華12日間の旅でした。

歴史を感じさせるヨーロッパの街並みに目を奪われました。

美しいものをたくさん見て、おいしいものをたくさん食べる事が出来た旅でした。

スペインは英語がほとんど通じません。

でもガイドブッグに書いてあるスペイン語のカタカナ読みで充分、通じたので特に
不自由を感じる事はありませんでした。

私は陶器が好きなのでスペインのトレドという町で見た”タラベラ焼き”のお皿の
色鮮やかな配色が目に焼きついています。

今でもその時に見たもの、食べたものの話をふたりで良くする事があります。

同じものを見て美しいと思える事や仕事に対する姿勢など価値観が彼とは非常に
似通っているので結婚して16年たった今でもマンネリになる事なく、会話をはずませる
事が出来るような気がしています。


ハネムーンから帰った私は今まで通り、また働き始めました。

職場では旧姓で通すつもりだったのですが頭の固い上司がそれを許してくれませんでした。

得意先と話す機会も多かったのでいきなり名前が変わるというのはどう考えても抵抗が
ありました。

なんで女だけがこんな思いをしないといけないのか腹立たしい思いでいっぱいでした。

名前が変わる事を嬉々として受け入れる女性も多いと思うのですが自分には我慢の
出来ない事です。

最初に勤めた会社では女性の取締役の方が多い日本では非常に珍しい会社だったのですが、女性の取り締まり役は全員独身。

女がこの男社会で独り立ちしていくには、結婚も出来ない状況が現実にあります。

そういった事に対しては人一倍、反発する気持ちが強い私が心に決めた事は

『私は幸せな結婚生活を送りながら、仕事でも成功をおさめてやる!!』という事です。



posted by まりんぼ at 17:15| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | (3〜8話)恋愛そして結婚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月02日

【第7話】結婚式

いよいよ結婚式のお話です。

世はバブルの真っ只中、華やかな結婚式が当たり前の時代です。

でも、私達はどうしてもそういった結婚式を挙げる気持ちにはなれませんでした。

町の小さなカトリック教会で簡単に、だけど厳粛な挙式をする事にしました。

簡単な式なのですが、集まった人は120人!

教会の人が「ここにこんなに人が集まったのは初めてです。」とおっしゃっていました。

殺人的な仕事の忙しさで私は劇やせしてしまい、せっかく体に合わせて作ったのにガボガボ状態でした。^^;

胃が痛くて体調、最悪でした。


結婚するから仕事をやめる、という選択肢は私には無かったのですが結婚前に上司から言われた一言がすっごくショックでした。

私が上司に結婚の報告をした時に帰って来た言葉が

「おめでとう。あのー、それで会社はいつ辞めるの?」

・・・男性にはこんな事はだれもいいませんよね。

デザイナーとして仕事を任されて、深夜までの労働もいとわず会社のために働いて来たのにと思うとくやしくて、悲しくて・・・

何かおかしい、この世の中!!とその時から真剣に思い始め今に至ります。


次回はてく・まり誕生には直接関係ありませんがハネムーンのお話です。
posted by まりんぼ at 10:00| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | (3〜8話)恋愛そして結婚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月01日

【第6話】自分のドレスを作る

今日は私の初めてのウエディングドレス作りのお話。

世はバブルの真っ最中。今思うと華やかで贅沢で無駄の多い時代でした。

ちょうどゴンドラで降りてくる結婚式のスタイルがはやっていた頃です。

ウエディングドレスの流行もデコラティブなもので、今てく・まりがお作りしている
ウエディングドレスの対極にあるようなものが多くはやっていました。

デザインは5分でしました。直感で自分の好きなものをデザインしました。

その時は”ことのほかシンプル(!)”と思っていたのですが今考えるとデコラティブ
以外のなにものでも有りません。

シンプルと一言でいってもその時代に即した”シンプル”があるのだなーと実感させられます。

そのデザインは、というと・・・

シルエットは超プリンセスライン。お袖はもちろん長袖。でっかいパフスリーブで袖口に
向かって細くなっていきます。

あちらこちらにレースをあしらい、レースの下は土台生地をくり抜いてオーガンジー
などをはさみ込んだ2重構造にしました。

レースの回りには白いお花(アートフラワー)を200個ほど作って散らす、という
事にしました。

でっかいプリンセスラインにどうしても必要なのがでっかいパニエ。

今も家にありますが収集が付かないほどの大きな大きなパニエです。

自分で自分を採寸してまずは仮縫いの準備です。

パターン(型紙)を引いて、シーチング(仮縫い用の生地)を裁断。組み立てていきます。

仮縫いドレスを着て、修正して今度は本番の生地でもう一度仮縫いしてから本当の縫製に
入ります。

毎日、昼間は仕事で家に帰ってから夜、コツコツと作っていました。

睡眠時間が削られるのはデザイン学校時代から慣れているので平気です。

作りながら、楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。♪

完成した時、また作りたい!と思っている自分がいました。

これが私のドレス作りの最初です。^^
posted by まりんぼ at 20:27| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | (3〜8話)恋愛そして結婚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月18日

【第5話】彼、父に会う

いざ結婚が決まって彼が私の両親にあいさつに来た時の事。

いきなり私の父親が初対面の彼に向かって「あんた、給料なんぼもらってるんや?」

かなり個性的な父で、色々なびっくり発言には母と私は慣れているのでその程度の発言は何とも思いませんでしたが彼は驚いたようでした。

ところで結婚に関して大きな問題を彼と私は忘れていました。

   ・・・・・お金がない・・・・・特に彼。

何はともあれその日から1年後の結婚に向かって猛然とふたりで貯金を始めました。
何とか、教会での結婚式とハネムーン費用は捻出できる運びとなりました。

でも問題はまたまた父。結納も披露宴もしないと決めていたのに父が「そんな事は許さん!」と怒りまくり、結局するはめになってしまいました。

今思っても結納と披露宴はしなければ良かったと思っています。

でも、でも一番のお楽しみはやっぱりウエディングドレス。

自分のウエディングドレスは絶対自分で作ろうと決めていました。
posted by まりんぼ at 16:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | (3〜8話)恋愛そして結婚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【第4話】それってプロポーズ?

私の26才の誕生日。大阪梅田のジャズバーの様なお店で彼とふたりでお酒を飲んでいました。

とりとめも無い話をしながら彼がポケットから出したものは、指輪。では無くて、賃貸情報誌の
たーくさんの切り抜き。しかもどれも似たような価格帯。

彼「これ見て。」 私「(心の中で)見たけど、それが何なの。」

??????

彼「自分の給料では住める所はこんな感じかな。」

???それってプロポーズ???

今でもそれは謎です。^^;

その次の言葉がすこーし腹が立つんです。

「僕は男やからまだいいけど、奈美ちゃん、もういい年やし・・・」

どっかーん!!私のために結婚するんかい!と思ったけど、やっぱり嬉しかった・・・

でも、彼の集めた切り抜きの倍位の家賃、スペースに住もうと心の中で思ってました。

だって、仕事を辞める、というのは私の選択肢の中にはなかったから。

そしてもうひとつ。子供は私はいらない。と思っていました。

ふたりで面白おかしく一生送ってやろう、という考えでした。
posted by まりんぼ at 16:12| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | (3〜8話)恋愛そして結婚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月14日

【第3話】調子に乗る

インドから帰った私はまた働き始める事にしました。

世はバブルに突入しようかという頃で就職情報誌も今の3倍ぐらい分厚くて、服飾
デザイナーの募集もたっくさんありました。

その中で一番大手で一番条件の良さそうな所に目を付けて応募、何だか分から
ないけど、採用されてしまいました。

大阪に本社を置く某大手商社の企画室のデザイナーとなりました。

はっきり言って何ていいかげんなもの作りをしているんだろう、と驚きました。

でもそれなりに頑張って、しばらくここで働こうかなー、と思っていた矢先に何と!
私に東京転勤の内示が・・・

すっごく単純な私は東京の企画室に転勤だぁー、ランラランラララー♪といった感じの
おバカ状態でした。

その頃『シンデレラエキスプレス』というのがはやっていました。

東京と大阪に分かれた彼と私。週末ごとに逢うのよ。新幹線のホームでコマーシャル
で見たようなさよならを毎週するのよ。と勝手に決めて盛り上がっていました。
彼と私の恋は転勤を気にますます燃え上がるはず、と固く信じていました。

それ以上何も考えず、喜んでいたバカな私・・・

とりあえず、報告を彼にしなくっちゃ!と

「東京に転勤しないかと言われたよ。どうしようかなー。」と一言。

帰って来た言葉は思いもかけないものでした。

「あっそう。どうするかって、はっきり言って他人事・・・」

今でもこの時の彼の言葉は忘れられません。突き落とされた気分でした。

絶対愛されている自信があったので「行くな、結婚しよう」という答えを一番求めて
いたのかも知れません。

これは、シンデレラエキスプレスどころか転勤してしまったら私達の関係も終わりだな、
と感じました。

考えの甘さに初めて気が付き、愕然とした瞬間でした。

・・・次の日、上司に転勤を断りました。・・・

転勤を断ったらサラリーマンデザイナーは辞めるしかないです。

彼を失う事を考えたら会社を辞める事は大きな問題では有りませんでした。

その時の自分にとって何より大切なものを選択しました。

今考えると彼の「はっきり言って他人事」という返事は私を行かせまいという彼の作戦
だったかも、という気がしています。

それからも、その一件は無かったかの様な今までと同じ付き合いが続きました。
次の会社もすぐに見つかり、またデザイナーとして働き始めていました。

私は段々あせってきました。20代も後半、これからどうなるのだろう。

安心と安定が欲しい、と強く思い始めていました。

でも自分から、「結婚しよう」とは言えなかったです。ただ言ってくれるのを待っていました。

そんな楽しいけれど不安な毎日が続いたある日、彼に飲みに誘われました。
ちょうど私の26才の誕生日でした。

この続きは次回。どうぞお楽しみに!
posted by まりんぼ at 15:32| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | (3〜8話)恋愛そして結婚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月27日

【第2話】恋愛話

今日は第2話。前回は皇室のお衣装スタッフを辞めてインドへ旅発つところまででした。

おっとインドに旅立つお話の前に、わたくしその頃実は大恋愛をしていたんです。

こんなにも人を好きになるという事があるんだな、とその頃良く思っていました。

結婚したいと思っていました。
自分からは言い出せないので心の中で「結婚しようと早く言え!!」といつも念じていました。

そんな彼がいたのになぜインドに行きたいと思ったのか?

皇室のお衣装の仕事はがんじがらめの制約だらけでいつもいつも「自由になりたい」と思っていました。

インドに行けば何かが吹っ切れるような気がしました。

上司に告げた会社を辞める理由は「インドにいくから」・・・

帰ってきたら復帰しな、と言われるのが嫌でついでに言った言葉が

「行ったら帰って来ないかもしれません。」

・・帰って来ないわけがないのにねー。
  ラブラブの彼が待っているのに。ウフッ。

インドは素晴らしい国でした。

建物の美しさに目を奪われました。

生活している人々を見て生命力の強さを感じました。

タージマハールに行ってその美しさに息を飲むと同時に時の王様がお后のために
建てたお墓である事を思う時、その悲しい物語と重ね合わせて涙が自然にあふれて来ました。

ガンジス川で沐浴する人達を見てうらやましい、と思いました。

私も死んだらこの川に流してもらおうと思いました。

インドは強烈な印象を私の心に残しました。

何かが吹っ切れた様な気がして今までのしがらみもすべてほんの小さな事のように思うようになっていました。

帰国した私は今までの自分とは違っている事に気が付きました。

人に遠慮する事無く、がんがん生きて行こうと思うようになりました。

インドから戻った私は・・・そして恋愛の行方は・・・

次回をお楽しみに!!

2005年09月23日

【第1話】基礎を学ぶ

ウエディングドレスのオーダー工房を始めるまで、どんな仕事をしていたの?

どんな勉強をしたの?・・・時々こんなご質問を頂きます。

今日から少しずつ連載でお送りします。

わたくし、原田奈美子。たくさん、たくさんの経歴があります。大変な事もたくさんありました。


今日は18才〜24才の頃のお話。

大阪モード学園という所でファッションのお勉強をしていました。

4年間勉強した後、(株)ファミリアという子供服の会社に就職しました。

そこで配属されたのがなんと!皇室紀宮様のお衣装を作る部隊です。

紀宮様のお洋服のデザイン画を描く仕事を3年間しました。

厳しい規制の中でのお洋服作りはけして楽しいものではありませんでした。

でもほんの少しのミスも許されない厳しい職場の中でオーダーの基本、というものを学んだような気がします。

今考えると皇室の服を作るなんて、究極のオーダーですよね。

でも若い私にはがんじがらめでしんどい事ばかりで3年と数ヶ月頑張った後、とうとう会社をやめてしまいました。

やめた後、なぜか『インド』に旅立った私でした。・・・
(第2話に続きます)

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*2016年12月20日追記*
私が勤めていた会社の創業者の話を元にしたNHKの朝ドラ『べっぴんさん』が今、放映されています。

当時は坂野さんはじめ創業者の方々もご健在で会社で良くお見掛けしていました。

ドラマの中では『良子ちゃん』と呼ばれている方はきっと村井常務の事かしら?と想像しながらドラマを毎日見ています。

村井常務はとても明るくて笑顔の素敵な方で良くお声がけいただきました。『良子ちゃん』の印象そのままの方です。

残業が続いている時、部下が野菜不足にならないようにとお手製のキュウリの漬物を持って来られていた事を憶えています。

ヒロインの『すみれさん』こと坂野惇子さんは私にとっては雲の上の存在で怖くて仕事に厳しい方と言う印象を勝手に持っていました。

会長の坂野道夫さんは、毎日のようにお見掛けしていましたがいつも笑顔でとても穏やかな方と言う印象でした。

道夫さんの事で覚えているのが秘書の方のお話です。秘書の方が食べ物を残すと「全部食べなさい!
」と怒られると言う話を聞いていました。戦争に行かれて色々苦労された方だから食べ物を残すと言うのは有り得ない事だったのでしょうね。

道夫さんと惇子さんはいつもおふたりで行動されていました。仲のいいおふたりでした。

今まで朝ドラは観た事が無かったのですが、自分の知っている人がモデルになっているドラマですので毎朝欠かさず観ています。

・・・ちょっとした余談でした。

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