2008年01月20日

【第18話】はじめての広告

地元の広告誌に3行だけのテキスト広告。1行1500円。その時の自分に出せる広告費はこれが精一杯でした。

『ウエディングドレスオーダー承ります。5万円から。』

15年間、デザイナーとして働いてきて色々なアイテムを経験してきましたが
ただひとつ、扱った事のないアイテムがウエディングドレス。

女性として生まれて、デザイナーとして仕事をしている以上はいつかは、ウエディングドレスを扱ってみたい。

そんな気持ちがずっとあったような気がします。せっかく勤め人のしがらみから解き放たれたのですからウェディングをやるなら今だと思っていました。

広告を出してお客様からの連絡を待つばかりとなりました。
(19話に続きます)

posted by まりんぼ at 11:59| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | (18〜20話)ウェディングに舵を切る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月02日

【第17話】インターネットショップにチャレンジ!

庭で写真を撮って、ホームページの真似事をしながら画像をアップしてみたりしていたのですが、その当時はインターネット環境が今とは全く違います。ちょっと大きめの画像をアップしたらたちまちパソコンが固まります。画像の読み込みに1時間位かかったと言うウソのようなホントの話もあります。

大体メールもした事が無い私がインターネットショップを始めようとしたのが無謀過ぎました。

はい、心が折れました。婦人服のパターンの外注のお仕事は少額ながら確実に稼げます。自信もありました。

それに比べてネットショップは素人で、分からない事だらけです。楽しい事は楽しかったですが当時の私にとってはネットで商売すると言うのはとんでも無く険しい道のりに感じました。

完全にやめてしまうと言うよりもっと手っ取り早い事を先に始めようと決めました。

もう一度、何がしたいのか年末年始、じっくり考えました。

自分は何が好き?と自分に質問。
<好きなもの>
・結婚式
・インド
・動物
・本を読むこと


と言う事で2000年1月の初め、『結婚式で行こう!』と決めました。やりかけていたインドの服には未練がありましたが売り方が分からない以上、今は封印しようと思いました。

いつか出来る時が来たらやろうと思い、その気持ちは今も変わっていません。そう、時が来たらやりますよ(^^)

結婚式は本当に好きです。あの何とも言えない幸せが満ち満ちている空間が好きです。

『結婚式』関連で自分が出来る事と言えばどう考えてもウェディングドレス作りです。

他に選択肢はありません。

夫に相談しました。「ウエディングドレスのオーダーをしようかな。○○に広告を出してみようかな」

返って来た言葉は「そうしたら」でした。

この言葉をきっかけに、ウエディングドレスの仕事を始める事になったのです。

(第18話に続きます)











posted by まりんぼ at 09:55| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | (15〜17話)起業の第一歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月12日

【第16話】子供達

起業を考え始めた頃、自分の子供達は1才と3才。

それが起業を思いとどまらせる要素になる事は全くありませんでした。

出来ない理由はいくらでも出てくる。

でも子供を理由に自分のしたい事をあきらめたら、それは一生後悔する事になるかもしれない。

私が毎日イキイキ楽しく暮らしていたら、その姿をきっと子供達は見てくれている。子供達が大きくなった今でもそう思っています。(ただその事によって思春期になった子供達はとんでもなく自由な若者になりました。このお話はまた後日)

2000年も暮れようとしている頃、まだ核となるビジネスを見つけられずにいた私ですが、とにかく何か作ってみよう、それをインターネットなるもので売ってみようと考えていました。

インド好きの私はインドテイストの女性の服を数点作りました。面白い服を作りたいと考えていたのでザクッと織られた目の粗い生地や藍染めの生地など手当たり次第に買って来ました。

昔趣味で少し習っていたジャワ更紗のテイストも入れたいと考えて、ジャワ更紗の文様を入れた服などを作りました。

インドのユニークなボタンをたくさん付けた服も作りました。

何点か作って分かったのは『思い通りの服を作ろうとしたらとてつもなくお金と手間がかかる』事です。

いくらで売ろうとしたのか今となっては何も憶えていませんが、きっと材料費に少しだけ利益を乗せた感じの値段設定で考えていたと思います。

制作している自分の手間が価格に入っていない事にその頃は私は気づいていませんでした。

とにかく前に進まないと、と言う想いだけはしっかり有ったと思います。

数点の服の写真を撮りました。ハンガーにぶら下げて庭の緑をバックに撮ったと思います。

向かいの奥さんがそれを見て「可愛い服やね〜」と言ってくれた事を憶えています。
(ウェディングに方向転換したのち、その服はその奥さんに進呈しました^^)

モデルも使わず、ただハンガーにかけただけの写真。今なら全く通用しない画像だと思います。

当時はネットショップ自体が珍しい頃でしたのでそんな画像でも何とかなったのかも知れません。

ホームページは夫に作ってもらおうと思っていました。メールひとつした事のない自分が出来るはずが無いと最初から諦めていました。

でも数点の画像があるだけでそこからどう進めばいいのか、分からない事が多すぎました。

でも楽しかったです。まだ1円のお金にもならない状態でしたが、インターネットと言う未知の世界によって自分の未来は開けていると感じていました。
(17話に続きます)




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2006年10月15日

【第15話】前しか見ない

勤める会社がなくなって1ヶ月ほどは、これからの事を色々考えていました。
でもひとつだけ最初から決めていた事は「もう会社勤めはやめよう」と思っていたと言う事です。

人の言いなりになるのはもうやめよう、自分の人生、これからは自分の本当にやりたい事だけをやろう。

そう思っているうちに、今回の事(会社の倒産)は私にとってチャンスなんじゃないかと考えるようになってきました。

そう、ピンチではなくチャンスです。

起業という言葉が頭の中で渦巻き始めました。

勤めていた会社が倒産したのが2000年の9月。もう人に使われるのはやめようと思って起業を決意したのは10月。てくまりんぼと言う名前を決めたのは11月です。

この時は、実はウェディングを仕事にするつもりは有りませんでした。
私は前の会社で婦人服のデザインと型紙を作る仕事もしていました。はい、営業もしていました。

何でもしていたって事です(^^)

起業しよう、私に何が出来るんだろうと自問自答の日々が1ヶ月ほど続きました。デザインは出来る。型紙も出来る。服を作るしか無いよね〜。と何となくは考えていました。

考えても、考えても、考えても、「これだ!」と言うものは浮かびません。

怖ろしい事に(笑)私の夫も私より1年ほど前に勤め人をやめて独立していました。

起業1年目の夫もまだ色々模索していた時代でした。旅行会社を立ち上げていましたが、いきなりお客さんがわんさか来る訳も無く、まだまだ時間に余裕が有ったのだと思います。

話しているうちに一緒に何かを始めようと言う話になったのかも知れません。

多くは憶えていません(^^;)

夫はDTPの学校に行っていましたのでデザイン系のソフトは使えました。チラシとか、ポスターなどを請け負って作ろうと言う話になったのかも知れません。

私は昔勤めていた会社の先輩の紹介で、ある婦人服メーカーさんの型紙を作る仕事を外注で受けるようになりました。

夫の出来る事、私の出来る事をひっくるめてひとつの事業にしよう。とにかく名前が絶対に必要だと言う事で2人で家の2階の四畳半の部屋で考えました。

その頃、私達の子供は上の子が3歳。下の子が1歳でした。

こんな小さな子供が居るのに起業しようと思った私はアホです。間違いなくアホだと思います。

でも、アホも15年続くと本物です(笑)

ネーミングの話に戻ります。

どちらが言い出したのか、子供の名前を新ビジネスの名前に入れようと思い立ちました。

上の子の名前は【太陽(たいよう)】。。。うーん、これを会社名にするのは却下(笑)

下の子の名前は【真凛(まりん)】。。。これ、使えるやん!

まりん、まりん、まりん・・・・

ふと、夫が言いました。「てくてく歩くまりん、をもじって【てく・まりん】はどう?」

1歳の娘はちょうど、てくてく歩き始めた頃でした。可愛いかったですよ(^^;)

夫の提案に私は即答。「それ、いいやん。それにしよう!」・・・・簡単です。

考えるのに疲れて来ていて何でも良かったのかも知れません。ここで白状します。

どんな名前でも「それ、いいやん。それにしよう!」と言っていた自信があります。どこまでもいい加減な女です(笑)

『てく・まりん』と紙に書いてみました。うーん、悪くは無いけど何か足りない。。。。

考えるの、メンドクサイなあ。ときっと私は思っていたと思います。でも夫はちゃんと考えていました。

「じゃあ、最後に『ぼ』を付けて【てく・まりんぼ】はどう?何か可愛いやん」

それを聞いた私→「それいい!それにしよう!!」・・・・どこまでも適当な女です。

と言う事で【てく・まりんぼ】と言う名前に決定しました。

名前の前に何か枕詞が欲しいよね、と言う話になりました。

洋服の型紙を作ったり、チラシを作ったり、ポスターを作ったりします。

ひっくるめて『ビジュアル工房』と言う事にしました。

2000年11月。【ビジュアル工房 てく・まりんぼ】の誕生です。

テクノロジーのテク、テクニックのテクと言う意味も『てく・まりんぼ』と言う名前が決まってから追加でくっつけました。

『てく』には色々な意味が込められているのです。
(16話に続きます)

※2016年12月19日に加筆しています。




posted by まりんぼ at 01:57| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | (15〜17話)起業の第一歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月28日

【第14話】劇的な変化

劇的な変化・・・

勤めていた会社の倒産です。

アパレルは本当に倒産の多い業種で、私も取引先の倒産には何度か出くわしてきました。

でも自分の会社が倒産するというのは初めての経験でした。

バブル崩壊と共に業績が悪化していたのも知っていましたが、倒産と言うのは、やはり衝撃的な事でした。

この時、悲しい家族旅行をしました。

取引先から逃れるために、ふたりの子供を連れて神戸に旅行に出かけたのです。

会社が倒産すると、支払いをしてもらっていない取引先はどんな手段を取っても(従業員の自宅に押しかけても)未払い分を回収しようとすると言う事は人生の経験上、知っていました。

何も知らない子供達が無邪気に喜んでいるのを見て複雑な気分でしたが、もう私の中では気持ちの切り替えが出来ていたような気がします。

夫が海外出張中で不在だったので、自分がしっかり子供達を守るしかないと言う緊張感からか旅行中、悲しいとかつらいというマイナスの感情は有りませんでした。


くよくよしても始まらない。

前を向くしかない。これからの事だけ考えよう。

そして今はこの旅行を楽しもう。

と考えていました。

悲しい家族旅行と書きましたが、その時は悲しいとは思わなかったのに昨日、久しぶりに出かけた神戸で当時泊まったホテルを見た時、初めて悲しい気持ちになりました。

当時は気が張って、努めて明るく気持ちを保とうと思っていたのが、きのう久しぶりにそのホテルを見た時、当時押さえていた感情が吹き出したのかも知れませんね。

posted by まりんぼ at 10:50| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | (13〜14話)ピンチはチャンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月19日

【第13話】これではない

会社勤めを続けていてもどこか満たされない気持ちがあって自分の本当にやりたい事はこれではない、という気持ちがいつもあったような気がします。

でも自ら会社を辞める勇気はありませんでした。

生活がかかっていますから。

専門学校を卒業してから16年間、企業デザイナーとして頑張ってきたけれど、自分が本当にいい、と思える服を一度でも作れた事があるのだろうか。

紀宮様のお衣装担当の時からずっとずっと誰かの言いなりで物づくりを続けてきたような気がしていました。実際そうだと思います。

そんな気持ちが日々高まっていた頃、劇的な変化が訪れました。
posted by まりんぼ at 12:36| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | (13〜14話)ピンチはチャンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【第12話】葛藤

悲しい出来事(第11話参照)を乗り越えたあと、子供(男の子、2年遅れて女の子)を授かりました。

出産直前まで仕事をして産後8週休んだあとに復帰して働き続けました。

結婚した時、仕事をやめるという事が自分の選択肢になかったように、出産したからと言って仕事をやめるという事は考えた事がありませんでした。

仕事は自分の人生をつかさどる大切なもの。

子供は可愛い。だけど自分の人生と子供の人生は全くの別物。と思っています。

お互いを尊重しながら仲良く一生を送れたらそれが最高。

子供に対する自分の基本的な考えです。

そんな事を言いながらも子供にはとても甘い母です。^^

下の子を始めて保育園に入れる前日、悲しくて悲しくて、自分はこんなに小さい子供を預けてまで何をしようとしているのだろう。

仕事がそんなに値打ちのあるものなんだろうか。

まだ生後2ヶ月の娘を抱きしめて自問自答を繰り返しながら、子供に「ごめんね。」とつぶやく自分がいました。



自分を駆り立てるもの。

『野心』というものかもしれません。

いつか起業して社長になりたい。自分の裁量で会社を回してみたい、という気持ちがその頃からあったのかもしれません。

posted by まりんぼ at 12:30| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | (9〜12話)女が働き続けるという事は | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

【第11話】悲しい出来事

とても悲しい出来事・・・

せっかく授かった新しい命を失ってしまいました。

流産です。

仕事があるから、仕事のキャリアをストップさせたくないからという理由でずっと子供は作らないつもりで結婚したのですが、女としての本能的なものがそう思わせたのか結婚して6年が過ぎた頃から子供が欲しいという気持ちに変わっていました。

そして、授かった命だったのに・・・

特に夫は子供好きだっただけにショックも大きかったと思います。

それでも落ち込む私に「君がいてくれたらそれでいい」と言ってくれました。

うーん、この事はあまり書きたくなかったですが何もかも包み隠さずという覚悟で書き始めた誕生物語ですのでやはり飛ばす訳にもいかないので思い切って書くことにしました。

自分の体を省みず、仕事ばかりしていたバチが当たったのかと真剣に思いました。

それでも仕事を辞めるという事は考えませんでした。

何がそんなに自分を駆り立てるのか、それは未だに不明です。

posted by まりんぼ at 14:17| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | (9〜12話)女が働き続けるという事は | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月17日

【第10話】働く、働く

会社を辞めた私は、すぐに再就職。
今度は今までと違って小さな縫製メーカーです。

小さい会社なので分業式では無く、すべてを自分で完結させなくてはいけません。

自分で企画して、デザインして、生地を選んでサンプルを作って、さらにそのサンプルを持って売り込みに行って値段の交渉、注文があれば今度は生産ラインに乗せるための作業が待っています。

本生産用の型紙を作って反物を仕入れて、裁断工場に出し、戻ってきたら縫製指示・・・

デザイナーでありながら、営業マンでもあり、さらに工場を動かすという事をすべてひとりでやっていました。

今までにないやりがいを感じていました。

バリバリ仕事をしている中で忘れる事の出来ない悲しい出来事があります。(続く)
posted by まりんぼ at 05:35| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | (9〜12話)女が働き続けるという事は | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月05日

【第9話】男社会

結婚前と同じ会社で働き続けるつもりだったのに結婚後いきなりのカウンターパンチは名前の事。

結婚した事と対社外のもろもろとは全く関係の無い事。

わざわざ結婚した事を知らせるつもりも無かったので苗字も旧姓のまま通すつもりが会社の圧力でそうもいかなくなりました。

社内の人にも名前は前のままで、とお願いしたのに思うとおりには行きませんでした。

上司に直談判しても私の言っている意味も分からない様子。

完全な男性社会・・・

結婚したら会社を辞めるのが当たり前の会社ではもうやってはいけないと思い出したのです。

(続く)
posted by まりんぼ at 15:47| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | (9〜12話)女が働き続けるという事は | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする